Diary(想い出の記録)  Vol.10
   <2010・1月〜5月>

2010・1月1日
     2010年の新しい年の始まり。今年こそは体調を
   万全にしながら一日一日を大切に過ごしていきた
   いと思っている。

2010年の我が家の年始のご挨拶

あけまして
   おめでとうございます

 昨年、私は長年の夢だったサンクト
ペテルブルクとプラハに家族三人で行くことができました。(写真右上)
 国内では緑と水の新潟、島根・宍道湖の夕日、栃木・日光(11年ぶりに再
来訪)の美しい紅葉を見ることができました。その中でたくさんの方々と出会
い、私にとって忘れることのできない想い出をたくさん頂きました。多くのす
ばらしい方々との出会いから勇気をもらいました。
 また、11月にはチェコフィルハーモニー管弦楽団の「新世界より」などの
演奏を聞き、この上ない感動を味わいました。このように有意義な一年を過
ごせたことに感謝致します。有難うございました。
 今年もこれらのことをこれからの活動に生かしていきたいと思います。
 皆様にとって今年がよい年なりますように!
 核兵器のない、平和な世界になりますように!(綾)

 何より体を大切に、元気で過ごしたいと思います。(昭雄・甦子)
          2010年 元旦

昨年、行ったエルミタージュ美術館

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1月23日

* 絵本ワールドinかごしま(南日本新聞社・みなみホール)
  

 申し込んでいて、もうだめかと思っていた短編アニメ部門でア
カデミー賞を受賞された加藤久仁夫監督のトークショーの招待
券が前日の夕方に速達で届いた。突然のことで最初は驚いた
が、急いで準備をして家族三人で会場へ。
 会場の入口前でひまわり幼稚園時代の大久保(旧姓伊藤)先
生とばったりお会いする。シスター先生のお別れ会以来、半年
ぶりだった。
 

頂いた墨絵付きサイン
がアップできないのが残念!

2月15日

* 母校・牧園高校の閉校記念誌の最終校正をファックスで送付。脱稿、写真送付など
 を全部終わってほっとしていたところに突然校正が送られてきた。やはり新しく訂正す
 る箇所が出てきた。「閉校に寄せて」の自分なりの文章がどういう形で掲載されるのだ
 ろうかと心配もあったが、読み返してみて少し安心した。

3月3日

* 母校・牧園高校の閉校式(校内・体育館)体育館の入口前で中学時代の級友のお
 父様と会う。
  高校時代、家庭科を担当して下さった吉村先生と久しぶりに再会することができた。
  母校の校歌が流れ、いつの間にか口ずさんでいた。ここで過ごした高校生活三年間
 の想い出が甦ってきて、胸に迫ってくる熱いものを感じた。閉校になるのは寂しいもの
 はあるが、霧島高校のこれからの発展を心から祈っている。

3月14日

 国際女性デー記念「春をよぶつどい」講演会(サンエールかごしま 2F講堂)

 最初はただ参加するだけだと気楽な気持ちでいたら、突然の講師依頼に驚いた。ま
さか自分がスピーチすることになるとは思いもしなかった。急遽国際女性デーについて
自分なりに調べることにした。
  
 

 トークショーの開始前に加藤監督の
お母様に招かれ、控え室へ。絵本「つ
みきのいえ」(写真右上)は以前に近くの書店で買っていたので、
加藤さんご本人にサインして頂いた。墨絵の美しい絵がすばらし
く、大感激(^^)宝物にしよう。
 午後1時半、開会。ホール内はトークはもちろんのこと、加藤監
督に一目でも会いたいという人達でいっぱいだった。
 気さくに、スニーカーを履かれた加藤さんのお話はとても面白
く、意外な一面も垣間見ることができ、とても楽しいひとときを過
ごすことができた。(控え室でサインして下さる加藤監督・写真左

 日本で最初に行われたのは1923年(大正12年)で、その時の集会は警官によって中止させら
れたという。多くの困難を乗り越えて女性が権利を広げる運動をさらに進める日であり、女性だけ
でなく障害者や全ての人々の権利を同じように認めあう日だと思う。
イタリアでは女性が互いに
ミモザの花を贈り合う習慣があり、町中がミモザの花でいっぱいになる素敵な日だそう
だ。演台の花はミモザ。

 今からちょうど101年前の1909年
にアメリカの女性たちが、パンと参
政権を求めて立ち上がったことを
記念する日。
 ドイツの女性活動家・クララ・ツェ
トキンがこれを提唱し、3月8日が正
式な記念日となった。

460名の参加者で立ち見が出てしまった会場

実行委員長・大迫より子先生と

 会場はしーんと静まり返って、熱心に聞いて下さっているのがひしひし
と伝わってきた。
 東京から来られたオペラ歌手・巌渕真理さんのピアノ伴奏の方が私の
絵本と英語詩の朗読にピアノをつけて下さった。とても素敵なコラボレー
ションになった。
 後日、実行委員会の方からたくさんのお心のこもったアンケートが届く。
送られてきたアンケートには「*ていねいに育てること、きちんと学ぶこと
の大切さを感じました。元気をもらって、私もまた頑張ろうと思いました」、
「*立派に成長されて生命の尊さ、生きる喜びを世界に発信されている
感動の講演でした」、「*大きな、大きな元気をもらいました、やさしさと
可能性がいっぱいの言葉、涙の出る言葉、私も頑張ります」、「*言葉
の表現が実に胸に響くものでした。きっと聴いている多くの人々の感動を呼んだことと思います」
などがぎっしり書かれており、私自身も勇気づけられるものだった。
 当日の参加者は460名で、会場に入られなかったが合計で800名の方がご協力下さったことを
後で知った。忘れられない講演会となった。皆様に感謝!

北九州講演&金子みすずに触れた旅(仙崎〜萩)

4月3日

  朝早く鹿児島空港を出発して、福
 岡空港へ。空港内のレストランで朝
 食を取り、空港から地下鉄とJRで北
 九州へ。

 この「春をよぶつどい」の第3部・巌淵真理ミニコンサート
に出演された方々と控え室で一枚、記念撮影。
 左からピアノ伴奏の大坪さん、中央・巌淵真理さん、右端
・ソプラノの入江さん。
 巌淵さんの歌はカルメンの「ハバネラ」もよかったけれど、
私の大好きな島崎藤村の「初恋」が素敵だった。

 タクシーで講演会場(小倉医療セ
ンター(旧国立小倉病院)へ。
 広い北九州には医療センターが
国立と市立の二つに分かれており、
タクシーの運転手さんが間違えて市
立の方に行ってしまったのだ。慌てて引き返して、やっとたどり着いた。

桜が満開の会場近く

 病院の奥のほうにある会場でダウン症等支えの会の世話人・武田先生、私の絵本と英語
詩の朗読の音楽コラボレーションをして下さる宮崎先生とお会いする。
 武田先生とは私が一昨年(2008年)に出版したエッセー集『21番目のやさしさにーダウン
症のわたしからー』の「名前で呼んでください」の項で武田先生の文章を引用させて頂いて
いたことがあり、一度はお会いしたいと思っていたところだった。武田先生がお世話をして
おられる支えの会で講演できることはとても嬉しい出来事だった。
 

ダウン症等支えあいの会講演会in北九州(国立小倉医療センター 鴎ホール)

 会場にはたくさんの方々が詰めかけ、椅子が足りないほど
だった。会場の皆様が私の拙いスピーチを熱心に聞いて下
さってとても嬉しかった。
 また、宮崎先生とのシンセサイザーによるコラボレーション
はとても素敵なもので、大感激(^^)だった。写真がないの
が残念! このような、きれいな音色の中で絵本と英語詩を
朗読できたことは私にとって忘れられない想い出となった。
会場の係りの方はリハーサルの時から涙しておられた。
 宮崎先生は童謡詩人・金子みすずの詩に作曲し、発表し
ている方で、後日、宮崎先生より私たち家族の本「走り来れ
よ、・・・・」を作曲して下さって楽譜が届く。また、楽譜に続い
てCDも届いて嬉しかった。宮崎先生に感謝! 
 会場に岩崎先生ご一家が来て下さっていて、控え室で歓

混雑している受付でサイン

 講演会が無事成功裏に終わり、武田先生のお車で満開の桜の並木道を通りながら北九
州市内のホテルに帰る。川辺の広々としたホテルの部屋の窓から見える景色もよかった。
武田先生に感謝!
 

4月4日

* いよいよ金子みすずに触れる旅へ!
 

 小倉駅から列車で下関へ。下関からみすず列車に乗車。とてもかわいいレトロな列車で、
指定席の一両は日本海に向けて座席が組まれていた。ビューポイントで止まってくれるの
で、列車の窓から見える日本海の島々はとても美しく、カメラに収めた。
 みすず列車に揺られながら過ごした二時間半は長いような、短いような時間だった。

談でき、とても懐かしかった。玄くんの大きく成長している姿に驚きながらも、頼もしかった。

 列車の中でビールで乾杯!
 父も大喜び。

列車の窓から見た日本海の島々

 仙崎駅で列車を下り、昼食をとってみすず記念館へ。
 ようやく到着した仙崎の街は金子みすず一色だった。私が金子みすずに興味を引かれ
たのは大学時代、母がコラムに引用していた「大漁」の詩がきっかけだった。その後、岡山
での講演旅行で竹久夢二記念館に行った時に金子みすずのCDを買ったのもその一つ
だった。
 
ずっと感性豊かな数々の詩を生み出した金子みすずがどんなところで生まれ育ったの
か、みすず記念館に一度行ってみたいと思っていた。仙崎の街へ実際に行ってみると、
のどかで詩にぴったりの街だった。
 記念館の中には26歳という若さで夭逝したみすずの残した詩などがきれいに展示され
ていて、みずみずしく感じられた。

 写真右はみすずが20歳までを過ごした「金子文
英堂」。二階のみすずの部屋に入ると、鏡台やた
んすが置かれていて、静かなたたずまいだった。
 本屋を経営していた家族や、故郷の環境に恵ま
れ、この頃は幸せの絶頂期にあった。当時としては稀なことで、
大津高等女学校に通っていたという。
 奇しくもこの日は私の誕生日で、忘れることのできない日となっ
た。
 館内は全国各地からやって来た多くの人々でいっぱいだった。
外に出ても小さな通りに人が絶えなかった。
 ちょうど日曜日で、銀行の下ろされたシャッターにもみすずの
詩が書かれていた。(写真下)

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、 
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

 お墓は記念館から少し離れていたので、タクシー
で行くことにした。
 正面に「こころ」の歌碑のある遍照寺へ着いた。そ
の隣の小さな墓地にみすずの墓があった。結婚し、
子どもも生まれたが、結婚生活は順風満帆ではな
かったという。
 墓地に建てられた木の墓標は子どもを取られ、失
意のうちに亡くなったみすずを象徴しているようで寂
しいものだった。
 この後、再びタクシーで仙崎の街を一回りして港
の方の代表作「大漁」の歌碑のあるところに行った。

 

遍照寺「こころ」の歌碑

大 漁

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。

 歌碑の前には仙崎港が広がっていた。
 鯨の赤ちゃんが眠っているという青海島に行く鯨の形をした観光遊覧船(写真右下)が
ゆっくりと走っていく。天気もよく、とてものどかな風景だった。
 父は子どもの頃に朝鮮から博多港に引き揚げてきたと言う。この仙崎港にも昭和21年
末に仙崎が引揚港の役割を終えるまで、この港に上陸した人々は約41万人、ここから朝
鮮に帰った人々が約34万人、大混乱の一年余りであったという。

 

 

 列車の時間まで一休みして、仙崎の海の幸をお土産に買った。
 親切なタクシーの女性運転手さんが長門からのほうが待たないと言われたので、荷物
を仙崎駅で取って長門駅へ。
 仙崎での感動の余韻を胸に、山口県萩に向かう。
 長門駅から列車で萩へ。萩駅からホテルのバスで萩本陣へ。(写真下)
  

 その夜は萩本陣に一泊。丘の上にあり、ホテル
から見える景色はとてもきれいだった。
 ホテル内のレストランで夕食。家族三人で私の
誕生日を祝ってビールで乾杯。食事もとてもおい
しく、人生の中で記念すべき夜のひとときだった。

 

 伊藤博文邸を見て萩市
内を回り、吉田松陰の松
下村塾のある松蔭神社へ。
 松下村塾は歴史好きな私にとって興味深い所で、今で言う塾
のようなところであるが、思っていたより小さかった。ここをカメラ
でパチリ!(写真左)
 27歳という若さで夭逝するまで奇兵隊を指揮し、長州藩の反
幕勢力の軍事的基盤として明治維新に大きな働きをした高杉
晋作もここで勉学に励んだのかと明治の時代に思いを馳せた。
 萩博物館を見て回ったあと、高杉晋作誕生地を見て萩駅へ
向う。新堀川のほとりの満開の桜並木が見事だった。

4月5日

* 萩といえば陶器・萩焼の街。今まで田舎という
 イメージを持っていたが、実際に行ってみると歴
 史の深い城下街だった。

 列車を乗り継いで、新幹線で博多へ。福岡空港から鹿児島空港へ。
 留守の間に床の張替え工事を頼んで出かけた我が家は、さてどうなっているだろうか。
帰宅してみると、リビングとキッチンがピカピカのきれいな床になっていた。

 5月16日〜19日

 父は終戦後、北朝鮮から引き揚げてきたと言う。子供の頃の父達がどんな風に38度線
を渡ってきたのか、そのルーツを探す旅に出ることになった。私たち家族三人と、父方の
妹、弟である伯父・伯母たちの六人で韓国・ソウルへ。それは父が長い間考えていた計
画だった。
 5月16日、午後1時、鹿児島空港に集合。いろいろ書きたいことがたくさんあるが、写真
も入れながら「父が見た38度線」として書いていきたいと思っている。

5月3日(憲法記念日)

* 憲法記念日・市民のつどいー渡辺治さん講演会ー(かごしま県民交流センター
 <県民ホール>)
  この会のオープニング音楽で川野先生が「ヒロシマの有る国で」を歌われ、とても
 すばらしかった。
  講師は9条の会事務局長・渡辺治さん。とても深い、内容のあるお話だった。でも、
 私が痛切に感じたのは今回の憲法記念日講演会の参加者のほとんどが高齢の方
 で、若い人達が少なかったことだ。もっと多くの若い世代の人々がこのような会に参
 加して、憲法について勉強して欲しいとつくづく思った。

いよいよ韓国・ソウルへの旅ー父の子供の頃の記憶をたどってー

つづく